モノクロ写真館
monochrome photos
■カシュガルの路地■
町なかに立つモスク。ケバブーの焼ける匂い。乾燥して赤茶けた空気。クリンと目のきれいな人たち。奇跡のように可愛らしい子ども―。「自分は異国の地にいるんだなぁ」という思いをグングンかきたてられた。 シルクロードの途上の町カシュガルは、いつかまた訪れてみたい場所のひとつだ。
カシュガルの路地 1
長距離バスターミナルから乗り合いタクシーで「街的中心」へ運んでもらい、行き当たりばったりで宿をとる。宿の裏手から、漢民族ではなくウイグル族が暮らす旧市街がはじまっていた。
近くのメシ屋で朝食を済ませ、旧市街を歩き回るのが、僕の日課になった。
家具、鋳物、農具などを手作業でこしらえる職人街は、毎日訪れても飽きない。トントン、カンカン。物を作る音が、パサパサと乾いた街の路地に響く。
カシュガルの路地 2
その朝一番に出会った少女は、キリッとした顔をにこにこと弾ませ、一輪車を押していた。
かわいく生命力にあふれた表情に引き込まれ、思わず日本語で呼び止めてレンズを向けさせてもらう。
朝から気持ちのいい少女に遭遇したことが、なんともうれしかった。
「笑顔がうつる」というのだろうか、その日は僕も気味悪くたくさんほほえんだ。
カシュガルの路地 3
ウイグル族居住区の路地はいつも、遊んでいる子どもたちの姿がある。
道にしゃがみ込んで泣いている子がいた。
「こんな時に悪いなぁ」と思いながらも、こちらもしゃがみ込んでパチリと一枚。と、兄弟らしき子が2人駆け寄ってきて、もういっちょしゃがみ込んでポーズをとった。
ぐずぐずと泣いていた子も「ん? なんだ?」といった感じでおっとりと顔を上げた。
カシュガルの路地 4
経済成長の恩恵だろうか、中国は空前の旅行ブームだった。
ここカシュガルでも、たくさんの中国人団体旅行者を見かけた。この場合、中国人=漢族のこと。観光客がぽつぽつと足を運ぶ地区の一角で、かわいらしいウイグル族の少女がたたずんでいた。
カシュガルの路地 5
スイカとブドウは、このあたりでもっともよく食べられている果物だ。雨が少ないからか、どちらも甘さがギュッと詰まっていて、とてもうまい。
朝、路上にスイカをドーンと並べる。今日もスイカ売りの一日が始まった。
カシュガルの路地 6
細路地の小さな店で、小さな男の子が店番を任されていた。
ウイグルの伝統的な模様らしきものが入った花瓶や茶瓶がごちゃごちゃと並び、かばんや首飾りがジャラジャラと店の前にぶら下がっていた。 観光客向けのおみやげ屋ではなく、地元の人向けの日用品を売る店のようだ。
こんな小さい子にだってポンッと店番を任せる。子どもたちの多くが、可愛らしいけどきりりと精悍な目をしているのは、そんなことも理由になっているかもしれない。
カシュガルの路地 7
歳のちがう子たちが連れ立って、町中を駆け回る。のどかで、やさしい風景だ。「おーい、元気でやれよっ!」などと声を贈りたくなるが、彼らは毎日十分元気でやっている。
おにいちゃん格の子のひとりが、前面に「JAPAN」と書かれたTシャツを着ていた。漢字の筆談で話をしてみたが、どうやら本人はそれが「日本」という遠い国であること、そして目の前のおっちゃん(=僕)の国であることなど、まったく知らない様子だった。
カシュガルの路地 8
土ぼこりの舞う路地の脇で、ウイグル帽のおじいちゃんが、オンボロの進まない自転車を黙々とこいでいた。
近寄って見てみると、おじいちゃんは手元でちいさなナイフを研いでいた。車輪が回るのを動力にした刃物研ぎ機だった。
こういった類の道具を見つけると、無性にうれしくなる。
「こんにちは。すごいですね、これ」と言うと、「うーん、はっはっはっ」と低く味のある声でゆっくりと笑った。
カシュガルの路地 9
おしっこをしくじってしまったのか、はたまた、大との格闘後の一息なのか。角刈りの男の子が路地の脇でズボンを下ろしたまま、落ち着いて立っていた。
カシュガルの路地 10
ウイグル族の家屋や壁は、赤茶けたレンガ造りだ。細い裏路地に入り込んでしまうと、壁に囲まれた道が迷路のように細々と続く。
こんな所まで外国人が闖入してくることは少ないのか、すれ違う人たちは「あれまあ」といった顔でこちらをじろじろ見つめる。僕は日本語で「こんにちはー」などと言いながらずんずん進んでいく。
道に迷ったぐらいが、よく思いがけないことに出合えておもしろい。
「今日はこのへんで戻ろうかな」
そこからまた、ぼちぼちと迷路の帰り道を見つけていく。
カシュガルの路地 11
道の名前を示す立て札に、ウイグル語と中国語が並んでいる。
一番上の引っ掻きキズのような文字がウイグル語だ。読み方も意味も、もちろんさっぱりわからない。
道路工事のために道端に高く盛られた砂山を伝って、男の子が学校へ向かう。
自分が座る椅子は各自が家から持って行く。椅子にも色、形、大きさ、使い込み度、リッチ度などそれぞれに個性がにじみ出る。
カシュガルの路地 12
カシュガルの町にもデパートがあり、あちこちで高層ビルの建設工事が進められている。
ちょっとした屋台が集まる一角で出会った、仲の良いくりんくりん頭のふたり。この子たちが大人になる頃には、カシュガルの町はずいぶん変わっているんだろうなぁ。
カシュガルの路地 13
僕はこの旅の友に、好きな三線を携えていた。
その日は市バスに乗り、市街地の端の「喀什東湖公園」という、池のある公園へ三線を持って出かけた。“喀什”はカシュガルの中国語表記だ。
池のほとりで三線を弾いていると、男の子が数人「暇つぶし相手発見!」といった顔をしてこちらへやって来て、「何これ、何これ?」と尋ねた。
「弾いてみなよ」と三線を渡すと、男の子は小気味よく適当に弦を叩いて音を奏でた。
ウイグルの民族楽器にも3弦で形の似たようなものがある。
元々中国の三弦がシルクロードを伝わって各地に広まり、その土地に合った材料や音階に変わり、色々と枝分かれしていったのだそうだ。
海を越えて琉球に伝わったのが三線。三線が大坂・堺に伝来し、改良されたのが三味線らしい。(終)