アジア写真日記
とある日の遠足①
暮らしのにおいがする寺院
ふざけた顔の像は、なぜ?
カンボジア西部のバッタンバン。小さな川沿いに広がる静かな町だ。巨木が繁る並木道や、古びた教会。フランス植民地時代の面影を随所に残している。
そこから20キロほど離れた小山へ出かけた。
バイクで走った田舎道の風景。だだっ広い平原、水田と森の緑、空の青、雲の白。そんな自然がどこまでも。カンボジアはたくさん自然の残っているいい所だなあ。その中で、人々が貧しくも明るく素朴に暮らしている。そんな光景にじっと見入ってしまう。
山のふもとに着いたのは午前9時。しかしすでに殺人的に強烈な日差し……。そして、見上げてみると結構な急勾配……。まあ、ここまで来て引き返す手もないので、無意味にはりきって登った。
山頂には仏教寺院があった。お寺の空気は好きだ。格式ばってエラソーなお寺は遠慮したいけど、物売りのおばちゃんが井戸端会議をしているような、そんな生活のにおいがするお寺は好きだ。仏様の前で、静かにたっぷり時間をかけて拝む人を眺めるのも嫌いじゃない。
しかし、このあたりのお寺の像の顔って、どうしてこんなに吹き出しそうなのが多いんだろ。
とある日の遠足②
自信に満ちた「おらが言語一筋」
フリチン小僧もまた、動じない
少年僧と別れて山を下りた。ふもとの雑貨屋らしき小屋に軒を借りてひと涼み。日陰は偉大だなあ。“陰”なのに存在感ばっちりだ。
「水をちょうだい」とたずねると、店のおばちゃんは大きな声でバババッとしゃべり、僕の顔をのぞきこんだ。
「どこから来た?」「ジャポン」「今日はどこに泊まる?」「バッタンパン」
おばちゃんはクメール語、僕は日本語。こっちが英語を話そうが、エスペラント語を話そうが、手旗信号を送ろうが、おばちゃんはおらがクメール語一筋なのだから。自信に満ちたその表情は気持ちがいい。とにかく声のでかいおばちゃんだった。
僕らの奇妙な会話を聞きつけて、周りの掘っ立て小屋から子どもがぞろぞろと集まってきた。
くりんくりんの目にカールしたまつげのクメール顔の子たち。その中でひとり、中国系の顔をした男の子がいた。僕が、その子と自分の顔を交互に指差して「ジャポン、ジャポン」と言うと、キャキャッと笑った。そしてなぜか、となりにいた男の子のパンツをずり下げては、何度も僕に見せてくれた。ずりさげられた子も、しばらくフリチンで歩き回ってから、ふと思い出したようにパンツを上げて笑っていた。(終)