アジア写真日記
MUSIC GARDEN①
おんぼろ椅子、楽器の看板、狭い庭…
はい、ビビッときました
インドの南東海上に、セイロン島という島がある。これがスリランカ。「涙のしずくの形の島」とあとから聞いたが、本当にぽとりと落ちた涙のようでおもしろい。
そのセイロン島の内陸、キャンディという可愛らしい名前の町に来た。山間の町ハプタレから、列車で半日揺られて到着。ここのところ雨が続いていて、気温も低い。今日も朝のうちは雨だった。
まあとにかく安宿探しだ。キャンディ駅からトゥクトゥクに乗って、キャンディ湖という人口湖のそばの安宿街へ。小高い丘に登る道沿いに、ぽつぽつと安宿が並ぶ。2軒目に覘いた宿で、キャンディへ来る列車で知り合ったカナダ人カップルに会った。
「Oh! キャンディ駅で探したのよ。いないから先に行っちゃったわ」
「そうだったん!? ごめん、トイレに駆け込んでた!」
カナダ人の女性は「なんだ。アハハ!」と笑いながら、僕に部屋を見るように勧めた。部屋は広くて清潔だったが、僕の予算をはるかにオーバーしていた。「もっと安いところはない?」と宿の主人に尋ねると、「すぐ近くにある」と言って、使用人の男の子に僕をそこへ連れて行くように言ってくれた。
歩いて30秒。門をくぐって左手に見えた建物は、新しそうでなかなか立派。
「なんだ、すごいきれいじゃん」と言うと、使用人の子は「ノー、ノー」と言ってさらに奥へ進んだ。
新らし目の建物のとなりに、小さな平屋建ての建物がちょこんとあった。白い壁はこげ茶色に変色しかけ、軒を支える柱も細々と何となく頼りない。
しかし、「あっ、ここいいな」と思った。柱に掛かった、カラフルな蝶々の飾り物。おんぼろの木椅子が並べたれた、ちょっとしたアウトドアスペース。狭いけども、好きで可愛がっているのがよくわかる庭。そして、奥の柱には「ORIENTAL MUSIC GARDEN」という文字と楽器が描かれた、楽しい掛札があった。
はい、「ビビッ!」と来ました!まだ部屋も見てないけど、「ここに泊まるぞ」と思った。
僕はこの「ビビッ」というやつを結構大事にする。ほとんどそれで動いているようなもんだ。人に初めて会った時、初めて立ち降りた駅で感じる街の空気、ジャケ買いしたCDの1曲目の前奏……。ビビッと来てしまえば、もうそれだけでその先ハッピーになれるからお得。勝手に描いたイメージを、あとからどれだけ裏切られても、「もーっ!」と笑って許せてしまう。好きなものは多い方がいい。
僕が庭を見回している間、使用人の子が「おーい、おーい」と宿の中に向かって呼びかけていた。出てきたのは、細身で軽いアフロヘアの、気の良さそうなおじちゃんだった。
MUSIC GARDEN②
宿の主ラジャと年の瀬の洗濯
直感通りのすてきな宿
アフロのおじちゃんは名前を「ラジャ(Raja)」と言った。握手で挨拶。
「お、お、おっ。へっ、部屋を、見っ、見てごらん」
どもりがちなしゃべり方をするラジャは、少し慌てたような表情でそう言った。そして、持ってきた鍵で、さらに慌てながら部屋の扉を開けようとする。
冒険物語に出てきそうな古めかしい鍵を、これまた年季の入った木ドアに差し込んでガタガタガタガタッ。しかし、なかなか開かない。
汗を流しながら「おっ、おかしいな、おかしいな」とさらに慌てているラジャ。その姿にも「ビビッ!」。
部屋には大きなダブルベッドがひとつと、クローゼット、小さなテーブル、扇風機があった。部屋を見る前から泊まる気だった僕は、「うん、OK。長居するから安くしてね」と言った。ラジャは精一杯安くしてくれた。
ここは宿というより、ラジャの家の間借りといった感じ。部屋はこの一室しかなく、隣の部屋はラジャの生活空間だ。ラジャが案内してくれたトイレとシャワーは、いろんなコツを駆使してようやく水が流れたり、止まったりした。部屋のドアを閉める時も、ふたりがかりでガタガタやって、ようやく閉まった。
翌朝、ザァザァという音で目が覚めた。
大きなベッドの中で「あぁ、今日もまた雨か。これで何日連続だよ」とぼやく。「どうせ雨なら出歩けないし…」といつまでも気持ちよく布団の中。何時間かして、エイヤッ、と起き出した。
あいかわらず立て付けの悪い扉を開けると、なんときれいな青空! 雨音だと思っていたのは、庭の木々の葉が強い風に揺られている音だった。いやはや、自然に鈍感なこと甚だしい。
久々、ほんとに気持ちのいい天気。さっそく溜まっていた洗濯物を洗い、庭先のロープに干す。すでにラジャのシーツやパンツが洗って干してあったので、僕のは隅っこの方に干しておいた。
洗濯を終え、庭先の椅子に座って昨日分の日記を書いていると、ラジャが紅茶を入れて持ってきてくれた。
「サンキュー」とお礼を言うと、「おっ、オーケー、オーケー」とまたどもりがちに言った。
ラジャは、干してある僕の洗濯物を見つけ、「こっちの方が日が当たるよ」と言って、ラジャのシーツを隅に寄せて、僕のTシャツをよく日の当たる所へ移してくれた。ずらりと並んだ2人分の洗濯物が、12月の暖かい太陽をいっぱいに受けて気持ち良さそうだった。
その日の夕方、町なかで見つけたネット屋で、日本の友達に「久々に良い天気で洗濯しました!」と、これまた久々にメールを打って店へ出ると、外はどしゃぶりの大雨に変わっていた。
MUSIC GARDEN③
打楽器奏者のラジャ
たまらなく「ひとり」を感じさせる時も
ラジャはミュージシャンだ。タブラーというインドの打楽器のプレイヤー。他にもオルガンやシタールなども弾きこなすのだという。
「なっ、仲間たちと、バ、バンドを組んでたんだ。以前は、ホ、ホテルのショーでよく演奏してた。い、い、今は、それぞれ仕事を持ってる。けっ、けど、毎週水曜日には仲間が集まって、おっ、音楽パーティーをやるんだ」とラジャは言った。
僕は10日間ほどラジャの家に滞在した。見る限り、ラジャの暮らしは決して貧窮しているわけではないが、だからと言って経済的にゆとりのある生活には見えなかった。
それでも、ラジャが「ちょ、ちょっと町へ出てくる」と言う時には、必ずおしゃれなシャツにタイトなパンツ、それに足元は真っ白なレザーブーツを履き、かっこよくキメていた。その晴れやかな姿は、なんだか僕の心をも楽しくしてくれた。
ラジャは定職をもっているわけではなかった。1室だけの宿の収入がすべて。
となりの立派な宿は弟夫婦のものだった。その宿はロンリープラネットに載っていて、けっこう繁盛しているようだった。弟夫婦のところには娘がいた。バブという名の、黒い毛並みのいい飼い犬もいた。バブは毎朝ラジャの所に来るのが日課になっていた。僕もよくバブと一緒に紅茶を飲み、日向ぼっこをした。
ラジャはよく「町へ出て来る」と言って家を空けることが多かった。
最初は「町遊びが好きなんだなぁ」と思っていた。
しかし、段々「ひょっとすると、そうではないんじゃないか」と僕は思い始めた。ラジャにとっては、「町へ行く」ことより、「家にいない」ことの方が目的なのかもしれない、と感じたのだ。この家にいて寂しさと向かい合うことを避けるために。
僕にそう思わせたのは、ラジャの表情。出かける時も帰ってくる時も、ラジャの表情にはどこか翳りがかかって見えた。「僕の思い込みかな」と思ってみるが、日が経つにつれて「的外れではないんじゃないか」と感じるようになった。
ラジャはいつものようにおしゃれにキメて、「出かけてくるよ」と家を出てから、帰って来るまでに1時間とかからない時もしばしばあった。
「おかえり。早かったね」
「あっ、ああ。大した用事じゃないから」
とりあえず町に出てみたが、誰かに会う当ても、使える金もなかったのかもしれないな、と思った。
家に戻ってからラジャは奥の部屋でTVを見たり、散らかっている生活用具を移動させたり、何か用事を見つけては動き回っている。そんな時のラジャの姿は、たまらなく「ひとり」を感じさせた。
ある日、庭先でラジャと話をした。
「ラジャは今ひとりで暮らしてるんだよね?」
「そっ、そう。結婚はしてないし、こっ、子どももいないしね」
「弟さんの家にはよく行くの?」
「あ、時々ごはんを食べに行ったりね」
「そっか、近くに家族がいるからいいね」
「うっうん、そうだね」
MUSIC GARDEN④
おあずけだった庭での演奏
多国籍メンバー集い、最高の夜に
その週の金曜日、2日間雨で延期になっていた音楽パーティーが、宿の中庭スペースで開かれた。参加者は、ラジャとラジャの音楽仲間2人。それに僕。
バンドメンバーは10人いるが、家の近い者3人が日頃集まるメンバーだという。
夜7時ごろ、パーティ開始。僕は昼間のうちに仕入れておいた、スリランカの人が好むお酒を持参した。きっとみんないつもお酒を飲みながら、軽い料理でもつまみながらやっているのだろう、と思っていた。
が、ラジャに聞くと「いつもは紅茶を飲むぐらいで、あとはひたすら演奏して、おしゃべりするんだ」と言った。
決して3人とも裕福ではない。余計なお金はなるべくかけたくないようだ。
その日の酒はあっという間になくなった。
ラジャが、付け合せに巨大なキュウリをスライスしてくれた。それをボリボリやりながら、みんなでひたすら演奏し、歌った。ラジャは1曲ごとにタブラーのチューニングを真剣な顔で合わせ、曲が始まると全身を使って見事な音楽を奏でた。ラジャの周りには、ラジャだけの世界が漂っていた。
パーティーの途中、にぎやかな音を聴きつけたドイツ人2人組と、となりの宿の主人も入って来た。彼らも一緒にタンバリンを打ち鳴らした。僕も持参していた三線と三板で、好き勝手に割り込んだ。
最高に楽しい夜だった。周囲の宿もあるので、夜10時に解散した。つかの間集った仲間が、それぞれの場所へ帰っていく。
「今夜はありがとう。最高に楽しかった!」とバンドのみんなにお礼を言って、僕は部屋へ戻った。
ラジャは、それからもうしばらくひとりで起きていたようで、家の中をゴソゴソと動き回る音が聞こえた。僕は布団に入って目を閉じてからも、今夜見た、タブラーを打ち鳴らすラジャの姿が頭から離れなかった。(終)