アジア写真日記
ウルムチの静かな夜に①
雨に濡れるオアシスの町
気がかりと不安が襲う宵
中国最大の行政区、新彊(しんきょう)ウイグル自治区。その省都ウルムチまで、北京からひたすら西へ、特急列車で48時間。中国の国内移動とはいえ、これだけ端から端まで移動すれば、さすがに景色も人もガラリと変わる。
ウルムチへ向かう列車の車窓には、カラリと乾いた風景が続く。もっとぐっと西下して行けばタクラマカン砂漠にぶち当たるのだ。
背の高い木は少なく、低木が水辺に群生している。だだっ広い平原を横切る河は、流れているというより、むしろじっと佇んでいるように見える。土を乾かして積み上げた平屋の家。モスクの形をしたお墓。新彊はイスラムの香りが強い。
人の様子も北京とはずいぶん違う。バスに乗っても、中国人お約束「ヤイヤイ! ケンケン!」の怒鳴り合いが始まらない。ゴミをむやみに散らかさない。知らない外国人がカメラを向けてもわめき散らさない。鉄道駅の乗車券売り場では、ちゃんと列を作る人が多い。
ウルムチに着き、市内バスを適当に乗り継いで目についた宿に泊まった。1泊15元(=約750円)の4人部屋ドミトリー。宿の建物はやたらデカイが、中はやたら薄暗かった。
初日、ぶらぶらと街を歩き回った。ウルムチの町はでかい。乾燥地帯のオアシスとは言え、高層ビルや交通渋滞は当たり前。よくもまあ、こんな所にこんな大きな町を作ったなぁと思う。
午後8時を過ぎても、外にはまだ明るさが残っていた。
午後9時頃、宿の隣りの中華レストランで、抜群にうまい「西紅柿炒蚕」というトマトと卵の炒めものをつまみながらビールを飲んだ。ビールは冷えていない。氷を頼んでみるが、「用意してない」とのことで、仕方なく生ぬるいビールをグイっとやる。外はようやく夜の帳が降りてきていた。
そのうちに雨が降り出した。
昼間の陽気が嘘のように、気温はぐっと下がってきた。半袖半ズボンなのは僕ぐらいだ。ガラス張りの店内から、雨に濡れるウルムチの街をぼんやり眺めながら、2本目のビールを飲んだ。心地よい酔いが回ってくる。
外の景色に目を向けてはいるが、頭の中にはいろんな気がかり、考えごとが浮かんでくる。
こんな異国の地で気を揉んでても始まらないなぁ、旅の間は全部忘れていよう、と思うが、やはり実際そう簡単にはいかないものだ。日本にいる恋人のことをぼんやりと想い、少し気分が落ち着く。
ウルムチの静かな夜に②
日本からの旅人たちと晩餐
「中国人大好き」「旅続けたい」
少し離れたテーブルに、日本人らしき女性が座った。目が合ったので、「こんばんは」と言うと、彼女は軽く会釈を返した。何となくそれ以上話しそびれてしまい、僕は会計を済ませて宿へ戻った。
宿のエレベーターに乗ろうとして、ふと、屋台で買った果物の袋をレストランに置き忘れたことに気がついた。
店に引き返すと、さっきの女性のテーブルに日本人の男性が向かい合って座っていた。少し話がしたくなって、その席に入れてもらった。ふたりはカップルかと思ったがそうではなく、ドミトリーの部屋が一緒になっただけだと言う。
滋賀出身のその女性は大学生。2度目の海外旅行で、ここ新彊ウイグル自治区を選んだ。
「漢字読めば言葉はわかるし、イスラムチックで何か変わった所だから」と言って笑った。
口数は少ないが、さっぱりと明るい印象を与える女性だった。
「ただ、中華料理、私には味が濃すぎるなぁ」
3人でつまんだ牛肉の炒め物も塩味が効きすぎていて、やたらと喉が渇いた。
男性は佐賀生まれの、大学4年生。夏休みを利用して上海に1ヶ月短期留学した帰りに、ぐるりと中国を旅行しているそうだ。
「中国人大好き。人の好き嫌いがはっきりしてるし、やさしいし」
高校の修学旅行で初めて中国に来たときは、「こんな国大っきらい!」だったそうだ。翌春からは商社で働くことが決まっている。
「将来は絶対中国で働きたいですよ。日本で5年キャリアを積めば、中国ではすごく大きいキャリアになるらしいんで。それまでにビジネス中国語ぐらいできるようにしなきゃなあ。でもこうやって旅してみると、やっぱ就職せずに旅を続けてみたいな、って気も起きちゃいます」
僕たちは、それぞれの中国でのおもしろい体験談や、「どこの国の女性がきれいだ」といったたわいもない話を肴に、1時間ほどビールを飲んだ。
ウルムチの静かな夜に③
「一生旅人ではいられないし」
1年の「中断」さえ難しい社会
ドミトリーに戻ると、となりのベッドにひとり男性がいた。彼のベッドに散らばった本を見ると、中国語やウイグル語が書かれている。中国人だろうと思い「ニイハオ」と言うと、「Where are you from?」と英語が返ってきた。
「ジャパン」
「あ、同じですね」
日本人だったようだ。
彼は関西の大学で新彊の歴史を学ぶ大学院生。今回は、研究している土地を実際に訪れたり、教授が紹介してくれた人に会ったりしているそうだ。1ヶ月の滞在を終えてそろそろ日本に帰るところだという。
ガリ勉研究者でも、豪腕バックパッカーでも、斜に構えた放浪者でもなく、家の近所にいそうな若おやじという感じの人で、ゆったりと会話が弾んだ。
「どうして新彊研究なんて選んだんですか?」
「うーん、ただ冒険がしたくて。外国、砂漠、なんかそんなイメージでしょ。それで、これだ! って決めて。就職活動もしたけど、やっぱりこっちを選んだんです」
彼の通う大学は、仏教研究では最先端を行っているらしい。
その昔インドで発祥した仏教は、南方と北方に向かって伝播していったが、最近アフガニスタンにあるバーミヤン遺跡の西側で仏教遺跡が見つかったことをきっかけに、西への伝播ルートが注目されているんです、と訥々と説明してくれた。
「将来は研究者になりたいんだけど、門戸はかなり狭くて厳しいんです」
僕は、自分は仕事を辞めて1年間の放浪旅の途中であることを話した。
「怖くなかった?」と彼は聞いた。
僕は彼の言葉を「旅の間に危険な目に遭うことが怖くないのか」という意味と捉えた。
「そうじゃなくて、その先の不安と言うか、帰ってからのこととか。これまで長い旅をしている人に会っても、何となく訊けなくって。僕もこういう風変わりな研究やっちゃう性分だから、『旅をしたい』とすごく思うんだけどね。でも一生旅人でいるわけにはいかないし」と彼は言った。
「怖さ」という言葉は僕には当てはまらなかった。ぼんやりとした夢の段階から自分の中で計画してきた旅だったので、不安よりも「よっし行くぞー」という興奮気味なうれしさの方が大きかった。
「この先自分が没頭していけることを、旅の間に見つけたいなと思ってるんだ。けど、それでもふと先のことを考えて、落ち着かない気分になることはあるよ。自分だけ日本の流れの中に戻って行けなくなるんじゃないか、ってね」
「そっか。やっぱりそうだよね」と彼は小さく言った。旅のためだろうと育児のためだろうと、たった1年間の中断も日本では楽じゃない。
何となく会話が途切れた。
僕が「疲れたんで先に寝ますね」と言って布団にもぐり込んだ後も、彼はしばらくパラパラと資料をめくっていた。
程よい酔いの中、その音を聞きながら、僕は深い眠りに就いた。(終)
(註)本編の写真3枚はウルムチではありません。①②は新彊のカシュガル、③は華南の広州。