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アジア​写真日記

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​無名の人たち①

​青年テイとの出会い

​「ブラザーと呼んでいいか」

 パイリンはタイ国境に近いカンボジア山間の小さな田舎町。緑の山と小さな市場と寺院、それに数軒の宿以外は何もなかったが、落ち着きつつも精気の漂うような雰囲気がピンときて、この町に3泊した。
 このあたりは内戦時の地雷が最も多く残っている地域らしい。最近、タイとの間の国境が外国人にも開放されたが、僕の滞在中、旅行者の姿はゼロだった。

 滞在初日、子どもたちとサッカーをしているときに、ひとりのクメール人青年と仲良くなった。名をテイと言った。ひどく遠慮がちで気弱だが、いつもにこやかな笑顔で、やさしい話し方をする青年だった。テイとはその後、3日続けて晩めしを共にすることになった。

 26歳になるテイは、警察と警備会社の仕事をかけもって働いている。警察で20$、警備会社で57$を月々もらっているが、「生活はぎりぎりなんだ」と苦笑いしていた。

 日曜日、テイのバイクでピクニックに出かけた。町から山の方へ向かって20分足らずのところに、もとの自然をそのまま使ったちょっとした公園があった。「週末には家族連れやカップルがけっこう来るよ」と彼は言ったが、その日は僕らの他に2、3組の家族がいただけだった。
 池のそばの東屋に並んでゴロリと寝転がり、町の市場で買ったバナナを食べた。テイは片思いの女性のことや、家庭の問題、生活の不安などをポツリポツリと話してくれた。
 「悩みがあるとき、ここへ来るんだ」とテイは照れながら言った。
 僕は、パイリンの町が気に入っていることや、旅のあいだの出来事、日本にいる恋人のことを話した。
 その日の別れ際、テイに「『兄』と呼んでもいいか?」と言われ、少々びっくりした。彼は滞在中ずっと僕を「ブラザー」と呼んだ。

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無名の人たち②

​普通の生活者に救われる日々

仲間に慕われ、家族を愛する男に

 パイリンを発つ日の早朝、テイは仕事の都合をつけて僕の宿に迎えに来てくれた。バイクタクシー乗り場まで送ってくれ、別れ際に「おみやげです」と言って、黒い小さな天然石を僕の手に握らせた。僕は手紙と写真を送ることを約束して、手を振って別れた。

 バイクタクシーで30分ほどで国境に着いた。国境市場が立ち、地元民の交易のための往来がほとんど。のどかで、活気のある国境だ。
 僕を乗せてきたバイクタクシーの男は、イミグレの窓口まで一緒に来て、僕の手続きを手伝ってくれた。「じゃ、気をつけてな」みたいなことをクメール語で言いながら、笑って見送ってくれた。

 タイ側のイミグレのおじさんは、片言の英語を話すが、旅行者相手の業務にはまだ慣れていない様子。僕がパスポートを渡すと、狭い部屋をバタバタと慌ただしく駆け回っていた。
 手続きを終えるとおじさんは部屋から出てきて、「どこへ向かうの?」と聞いてきた。「バンコク」と答えると、近くにいたバイクタクシーを呼び寄せ、行き先と値段を交渉してくれた。僕がまだタイバーツを持っていないことを告げると、おじさんは「うーん」とひと唸りして、部屋に戻り自分の机からお金を持ってきて両替してくれた。礼を言うと、おじさんは片手をこっちに上げながら、いそいそと部屋に戻っていった。

 長い旅のあいだ、僕が思いがけず助けられたり、一緒に楽しい時間を過ごせたりしたのは、こうした行きずりで出会うごく普通の人たちだ。社会的地位があるわけでも、世間的に華やかな人でもなく、大金持ちでもない。日常を地道にまっとうに生きる生活者。
 ジャパンから来た男を国境まで運び、見送る。バイクを駆って町に戻り、くみおきの水で水浴び。板葺きの家で、今日一日の出来事を多少の誇張を交えてしゃべる。近所の人や、友達と軽口を叩き合う。行きつけの屋台のおばちゃんに親しまれ、何より家族を大事にする。そして、最愛の伴侶である肝っ玉かあちゃんを心から愛し続ける。そんなひとりの「無名の男」の日々に、勝手な想像をめぐらせてしまう。(終)

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